「隻眼の残像の感想を知りたい!」
「隻眼の残像の事件についての考察を教えて!」
2025年4月18日に公開された映画「隻眼の残像(フラッシュバック)」。
早速、4月18日の0時から公開された世界最速上映を見てきました。
今回の映画「隻眼の残像」について自分なりの感想や考察を1つ1つ書いていこうかなと思います!
わからなかった人のために解説も含めて書いていきます!
※随時記事は更新していきます。
※この記事はネタバレを含むため、まだ知りたくない方は注意してください!
考察① 大和敢助の左目の傷とタイトルの伏線回収

今回の映画のメインポイントはやはり敢助の左目の傷についてです。
原作コナンでは描かれていない部分で、「隻眼の残像」だからこそ描かれる部分。作者の青山先生はインタビューで、構想はあったけど描くことはないかなと言われていた部分です。
今までの謎として、風林火山の話で大和敢助は雪崩に巻き込まれて左目と左脚を負傷した…と描かれています。
ただ、雪崩に巻き込まれて左目がまるでXのようになるというのは考えにくいです。雪に巻き込まれて何か固いものにぶつかったなら考えられますが、雪崩だけであそこまでの傷になるのか?と考察できます。
そんな大和敢助の左目の傷が今回の事件で、何者かに銃で撃たれてできた傷というのが判明。
なぜ傷がX印なのか?という長年の謎も回収されました。

大和敢助の左目の傷が物語のキーとなっている
大和敢助の雪崩の時の記憶が戻ることによって、今回の事件の犯人が判明します。
要所要所で大和の左目が疼き出し、その場所が事件との関わりが見えてきます。
覚えてる限りでは、
- 一番最初の巨大なパラボラアンテナを見た時
- 山梨刑務所で御厨と面談した時
- 雪崩に巻き込まれそうになった時
この点で傷が疼きだしました。
一番最初の巨大なパラボラアンテナを見た時
→10ヶ月前に犯人がアンテナを積んでいる移動観測車を使っていた
山梨刑務所で御厨と面談した時
→10ヶ月前に御厨を追いかけていた。
雪崩に巻き込まれそうになった時
→10ヶ月に左目を犯人に撃たれた後に雪崩に巻き込まれた
当時の現場と同じようなシチュエーションになることで記憶が蘇りました。
大和が犯人を知る人物であるからこそ、最初から最後まで大和の記憶と同じような出来事が起きる→左目が疼く→記憶が戻るというような構成と考察できます。
映画のタイトルでもある、
「隻眼の残像→大和の目から記憶が戻る」
と読むこともできます。
大和敢助が雪崩の後から入院の流れも判明
今回、大和敢助が雪崩の後から入院までの流れを知りました。
わからなかったポイントとして、
- 大和を雪崩から助けたのは誰なのか?※公衆電話の指紋はなかった
- 大和が入院してから刑事だとわからなかった理由
1.についてはラストで大友が大和を助けたことがわかりました。
では、なぜ指紋はなかったのか?という部分の解説は入っていませんが、恐らく大友は姿と名前を変えて生きているため、痕跡を一つも残したくなかったというのが考えられます。
指紋を照合されてしまうと、元犯罪者であり疑われてしまうからです。
次に大和が入院した時に持ち物もなく、警察官だとわからなかった理由について。
完全考察になってしまいますが、犯人は恐らく大和が刑事とわかっていたが、記憶が戻っているのか?などを確認する必要があったため、意図的に警察に情報を流さなかったです。
結果として大和が刑事にも関わらず、情報が流れなかったのです。
もしかしたら、警察手帳や携帯など犯人が処分した可能性は十分にあります。
考察② 諸伏高明と弟の諸伏景光との本当のお別れ

諸伏高明が凍った川に落ちたシーン。
高明は三途の川に行ってしまい、そこで弟の景光との再会を果たします。
個人的にはうるっときたシーンの一つ。
公安の景光は自分の死は偽装されており、警察無線を辿ってここまできた…と高明に伝えるも、高明は無線をくるなら一人ではこない…とここは現実の世界じゃないことに気づきました。
高明「どうやらここは…現実ではなかったようだ…景光…残念だが…」
と良い、現在の世界に戻ります。
このシーンからは、景光の遺品であるスマホを見た時点で、すでに弟が亡くなっていることを理解していたものの、どこかで「そうであってほしくない」という思いがあり、ずっと心の中で葛藤していたことが伝わってきます。
今回の出来事で本当に弟は亡くなってしまった事実と向き合ったのかなと思います。
あまり表情に出さない高明が、救助された時も「ひろ…みつ」と言っており、本当は弟の死というのが悲しかったことが伝わります。

トリガーは「人生、死あり…修短は命なり」
諸伏高明が川の中に落ちた時に
高明「人生、死あり…修短は命なり」
と心の中で思っていました。
※意味:人は死を避けられない。短い生涯を終えるのは天命である」
実はこの言葉は「妖精の唇」の話で、高明が景光の死を知った時に言った言葉と全く一緒です。
自分の死が迫った時に景光が亡くなった時を重ね合わせて、三途の川までいったと考察できます。
考察③ 上原由衣が大和敢助へ思いを伝える

今回…考察というか…どういう解釈だろう?と難しかったのが上原由衣です。
ここはもっと解釈が出てから感想を書きたいのですが…一言でいうと敢ちゃんに「思いを伝えた」回でした。
最後のシーンの
大和敢助「ただの同僚が死んだだけで、みんなの前であんな泣く馬鹿いるか」
上原由衣「ただの同僚…じゃないとしたら?」
大和敢助「あ…?」
で終わりました。
上原由衣は今まで敢助のことを好きというのは周りは知っていました。ただ本人には直接的な表現で伝えていません。更に敢助が鈍感…
そこで今回の映画の最後に上原由衣は敢助のことは「ただの同僚じゃなくて、好きな人」ということを伝えたんだと思います。
あ?で終わってしまったので、この後はわかりませんが、敢助に対して自分にとって貴方は特別な人というのを伝えたかったのです。
敢助は鈍感なのでそれを聞いても響くかはわかりませんが、今の自分の思いを伝えたのでした。

由衣の答えのない問いが難しかった…
敢助にもですが、視聴者に対しても、上原由衣は甲斐巡査の事件を追うために、虎田由衣として嫁いだことを強調していました。
その中で由衣と敢助は車で二人っきりで話していた時、
大和敢助「わかってるよ…甲斐さんの事件の謎を解くためだったってとは」
と嫁いだ話しに関しては事件解決のため、と言っていました。
ただ、敢助がこの後に言った
大和敢助「まぁ俺がお前だったら結婚まではしてねーがな。」
というこの一言で由衣はブチギレます。
自分は大好きな敢助がいなくなり、慕っていた甲斐巡査の事件を調べる手立てもなく、しょうがなく結婚しました。そんな苦労も知らずに敢助の心ない一言に由衣はキレたのかなと思います。
その後の勘ちゃんならどうしてた?という、どんな答えでも間違っているような展開は複雑な男女間だからこそわからないことも多かったです…。
この後に犯人に襲われてしまいますが、敢助は「わりぃ…」と謝ろうとした気がしています。
以下記事では風林火山について詳しく書いてあるので、ぜひ見てください!

「まぁ俺がお前だったら結婚まではしてねーがな。」の大和が言った理由
なぜ、大和はなぜ余分な一言を言ってしまったのか?
ここを考えて見ると…恐らく敢助は由衣が結婚したことを根に持っていたと思います。
由衣に好意があるからこそ、自分が亡くなったとしても結婚してほしくない…そういった言葉から余分な一言を言ってしまったのかなと思います。
由衣のことを考えると、デリカシーのない発言ですが、それだけ由衣のことを気になってるからこその発言かなと思います。
考察④ 眠りの小五郎が登場しなかった本当の理由

長年のコナンファンだと気付いた方も多いと思いますが、隻眼の残像では眠りの小五郎が一度も登場しませんでした。
「今回の小五郎は眠りません…」という発言があった通り、本当に眠りませんでした。
映画だけで見てみると、同僚だった鮫谷(通称:ワニ)が亡くなったことによる、弔い合戦でもあるため自分で推理をしていました。
※最後は新一からメールがきて推理。
アニメの物語でもコナンがわざと眠らせないで小五郎に解かせようとするという形を今回もとりましたね。
小五郎が本当に眠らないのは原作との整合性をとっている説
あくまで考察になりますが、実は毛利小五郎は原作において、長野県警の前で一度も「眠りの小五郎」になったことがありません。
長野県警との絡みでは、大和敢助や諸伏高明の推理力が非常に高く、小五郎が事件を解決する場面は描かれていないのです。
さらに、大和と高明は、小五郎が“飾り”であり、実際に推理しているのは江戸川コナンであることを事前に把握しており、小五郎抜きで3人(大和・高明・コナン)だけで行動することも少なくありません。
そのような背景がある中で、原作で一度も披露していない「眠りの小五郎」を映画で初めてやるとなると、やや違和感を覚える人もいるでしょう。
原作を主軸と考えるならば、映画であってもその設定を崩さず、整合性を保つために、今回も「眠りの小五郎」の演出は意図的に封印された…そう考えることができるのではないでしょうか。
考察⑤ 舟久保の“死”との向かい方

今回の映画キャラの舟久保英三(ふなくぼえいぞう)。
娘の舟久保真希が亡くなったことで御厨と鷲頭に強い恨みを持っていました。
警察では自殺と判断していましたが、英三は他殺と言っていました。
英三は真希がなくなる前に笑顔で、帰ってきたら何かを伝えると言って去った、彼氏を紹介してくると思っていた。と言っており、これは自殺ではないのでは…?と勘違いさせるシーンがありました。
真希は他殺ではなく自殺
ただ、長野県警の大和警部が“遺書”があったと言いました。
つまり、真希は自殺であることは確定です。
ここから考察できるのは、英三は8年前の事件が起き、娘が亡くなってからずっと御厨と鷲頭を恨んでいました。
そのため、原因は御厨と鷲頭…娘は他殺されたに違いないと思い込み続けていました。
結果、娘は自殺するはずがないと死を受け入れられなかったのです。
大友との接触により現実を受け入れる
最後の最後に大友がいつも墓石に花を備えているというのを知り、涙が溢れてきました。
ずっとコイツが犯人だと思い続けていたのが、いい意味で裏切られてしまい、崩れ落ちてしまいます。
この時に英三の中で、真希のこと他殺と思いつづけていたのから、自殺した…と受け入れられと感情の変化がわかります。
考察⑥ 登場人物全員が意図的にフラッシュバック

今回映画監督の重原さんがインタビューで「フラッシュバック」を多く作中に入れてると答えています。
映画のタイトルでもある「隻眼の残像(フラッシュバック)」の伏線回収でもあります。
フラッシュバック…過去の体験を突然、まるで現在体験しているかのように、鮮明に蘇らせる現象
メインとしては、大和敢助の過去の記憶が戻ること。
それ以外でも諸伏高明、上原由衣、小五郎など様々なキャラの過去のシーンが出てきました。
灰原哀でも、ジョディとの証人保護プログラムについてのシーンがでてきています。
映画特別キャラでも多くの過去のカットがあり、現在→過去→現在→過去を行き来するような構成が意図的に作られていました。
それぞれの過去と向き合うような物語だった
今回の事件で8年前に事件を起こしてしまった鷲頭が、過去の行為を悔やんでおり、毎年犠牲になった真希の墓石に花をあげていました。
舟久保英三は娘の真希が亡くなったことにより、2人組を本気で殺害しようと考えていた。ただ、反省している鷲頭の姿を見て、娘の復讐と感情が拮抗して最後は許していた。
御厨は司法取引で自分を売った鷲頭を恨んでおり、復讐をすることを決めた
犯人は最愛な人の死と向き合い、許さないことを決めた。
過去の出来事を分岐点にそれぞれが、良い方向にも悪い方向にも行ったのかなと思います。
まとめてみると、ちょっと考えさせるような映画でした。
隻眼の残像でまだまだ考察できる部分はいっぱいある
今回自分の感想と考えを織り交ぜながら、隻眼の残像について書きました。
1つの映画に色々なシーンや感情があるため、見る人によって解釈が違ったりする、面白い映画かなと思います。
また複数回映画を見て随時更新していこうと思います!
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